
ラブドールの誕生と成長——オリエント工業の40年
僕はサラリーマンとか、普通のお堅い仕事は性に合わないと感じていましたから。
新宿でアダルトショップを手伝う
僕は昭和19年に、横浜の元町と本牧の間あたりで生まれました。子供時代は戦後で、もちろんゲームなんてありませんし、遊び道具さえあまりなかった。本牧あたりは米軍ハウスが多かったから、近所のアメリカ人の家の広い庭で遊ばせてもらったことをよく覚えています。
当時は、いまのような陰湿ないじめはありませんでしたね。多少のいたずらやからかいはあったにせよ、限度というものがあったから。僕自身もいたずらは好きでしたけど、悪いことができるタイプではなかったです。
大人になってからは、いろいろな仕事を転々としました。港で荷物の積み下ろしをしたり、水商売のアルバイトをしたり。米軍専門の引越し会社で働いていたときに、知り合いが新宿でアダルトショップ、当時でいう大人のおもちゃ屋さんをやっていて、手伝ってくれないかと声がかかったんです。
僕はサラリーマンとか、普通のお堅い仕事は性に合わないと感じていましたから。
アダルトショップはおもしろそうだなというちょっとした好奇心もあって、手伝うことになったわけです。
当時の「大人のおもちゃ」事情
当時のアダルトショップでは、エッチな漫画や写真、空気を入れて膨らませる浮き袋のようなダッチワイフ、それから女性用のこけしといったものを売っていました。
そのうち問屋みたいなことをしたり、メーカーさんとの付き合いもできて仕事がおもしろくなり、数年後には浅草に店を持って独立しました。
その頃感じていたのは、女性用のアダルトグッズはどんどん開発されていくのに、男性用はそうでもないということ。女性用はバイブレーション機能つきのものなど、いろいろ新しい商品が進化するのに、男性用はダッチワイフにしても、空気式で、両手両足を広げて、口をぽかーんとあけたようなタイプのまま。あとはスポンジでできた「しびれふぐ」とか。これはふぐの口をホールに見立てるというものだったけれど、どれもこれも、あまりパッとしないわけです。
女性用が進化した理由としては、当時は景気がよくてにぎやかだったから、男性が女性をよろこばせようという時代性があったのかもしれません。対してダッチワイフのようなものは、なんとなく後ろめたい、恥ずかしいという気持ちもあったんでしょ
うね。
余談になりますが、当時はお上が厳しくて、性器そのもののような露骨な商品はもちろんダメ。もちろんアンダーヘアもダメ。
いまでは考えられないくらいうるさかったから、ふぐとかこけしとか、民芸品のようなものに見立てるしかなかったんです。だからオリエント工業でも、ホールの造形というか、見た目に関しては長いこと注意に注意を重ねていました。最近は、かなりがんばっていますけどね(笑)。
こんなダッチワイフじゃダメだ
そういったわけで、男性用のグッズはものすごく遅れをとっていました。僕も当時はそんなものかと思って、さほど違和感はなかったですけれど。
ただ、ダッチワイフにしても、作りはもちろん、描かれている顔もなんだか馬鹿にしているような感じで、ずっと気になっていました。
常連のお客さんの中に、足に障害を持った方がいらっしゃいました。彼とよく話をするようになって、空気式のダッチワイフはどうしても空気が漏れてしまうという話を聞くようになったんです。当時は値段も1~2万円くらいでしたから、ダメになっても買い換えればいいという人も多かったですけどね。
でも、そのとき彼から聞いたのは「障害があるから、風俗店には行きにくい。だから、自分にとってダッチワイフというのは、とても大事なものなんだ」ということ。
彼の話を聞いてから、少しでもなんとかならないかと思い、いろいろなメーカーさんをあたってみました。でも、「うちでは無理」と軒並み断られてしまって。新しく商品を作るなら500とか1000とかの単位で作らなければ商売にならないし、数百万から一千万単位のお金がかかってしまう。アダルトグッズは小さな工場が作っていることがほとんどだから、どこも二の足を踏んだわけです。
「ならば自分で作るしかない」というのが、ラブドール製作のはじまりでした。長いことアダルトショップをやっていていろいろな伝手もあるし、なんとかできるんじやないかと思ったわけです。
初代ラブドール「微笑」の完成
その頃アダルトショップを2軒やっていたんですけど、ひとつを売って、その資金でドールを作ることにしました。
これまでの、ビニールに空気を入れて膨らませる構造では、たしかに耐久性に問題があります。そこで腰の部分だけでもウレタン製にすれば、体重を乗せても多少は空気漏れをカバーできるんじゃないかと考えました。それから、顔と胸だけはこだわって、素材をソフトビニールにして質感を持たせて。顔立ちも少しでもかわいらしいものにしようと工夫しました。何しろはじめて作るものだから、試行錯誤で、いろいろな人に助けていただきました。
そして完成したのが1977年に発売した「微笑」でした。でき上がるまでに2年くらいかかりました。
だましの商売はしたくない
僕が自分で商品を作ろうと思ったのは、誰かの役に立ちたいといった事情もあるけれど、実は当時エロを売りにする商売では、とっぽい仕事をする人が多かったんです。
「とっぽい」というのはずるがしこいとか、抜け目がないという意味ですが、悪い言葉でいえば、多少いんちきみたいな部分があったんです。お客様第一という商売ではなく、大雑把な面が多分にあったように思います。
たとえばアダルトショップで売っている写真にしても、大事なところがマジックで塗られている。マジックを落とすと隠れているところが見えるっていう触れ込みなんですが、もともとのネガも白くしちゃっているものだから、マジックを落としても絶対に見えない。詐欺というほどのものじゃないけど、そういうかわいいいんちきはよくあったわけです。江戸時代のがまの油売りだってそうでしょう。当時はみんな、だまされながら成長していくみたいなところもあったんです(笑)。
ただ、僕は正直、そういった半分だましのような商売は嫌だなと、なんとなく思っていました。「微笑」を作ったのは、そういった理由もあります。
性の悩みは繊細で複雑なもの
「微笑」を作った頃、ある人との出会いがありました。彼は僕よりも年上のお医者さんで、海外で障害を持った人たちの性体験や相談をたくさん見てきた人。彼からは、ここでは書けないようなさまざまな事情をたくさん聞いて、大きな影響を受けました。
彼の話を聞くうちに、もっといいものを作らないとダメだ、という思いが強くなりました。彼に出会えなかったら、そこまでの気持ちにはなれなかったかもしれません。
そんな思いから、当時は上野に相談室を設けて、いろいろな人の性の悩みに応えるということもはじめました。
障害を持った人だけでなく、性の悩みの深さは、計り知れないものがあります。生まれ持った性的指向の問題もあるし、それこそ夫婦仲がうまくいかなかったり、奥さんに浮気をされて、女性不信になったり、女性器に嫌悪感を覚えてしまう人もいる。
いまはだいぶオープンになりましたが、当時は性の悩みなんて、恥ずかしくてなかなか人に言えるものではありませんでした。
特に男性の悩みは繊細かつ複雑で、簡単に「風俗に行けばいいじゃないか」では済まされないことも多い。そういうお店が苦手な人も少なくありません。人のことだと思って「運動して発散する」とか「趣味を持って紛らわせる」なんていうけど、そんなものじゃ解決できないんです。
そんなわけで、さまざまな悩みを抱えて、上野の相談室を訪ねてくれる人はたくさん
いました。
たとえばいまのラブドールだって、既婚者が所有するのはなかなか難しいところがありますよね。奥さんが「本物の女性と浮気するよりはドールのほうがいい」と考えるか、「ドールだからなおさら許せない」と考えるかはそれぞれ。それだけでも大きなテーマです。そういった、他人からみれは些細とも思えるようなことが、案外大切なんです。
空気を使わない「面影」が誕生
「微笑」は、手足や胴体はまだ空気式でしたから、空気漏れの問題は完全に解決できていませんでした。
「微笑」発売から5年後、はじめて空気を一切使わない「面影」を発売しました。
これはコンドームに使われるラテックスという素材を表面に使って、3層構造にしたもの。空気を一切使わないということで、開発には時間がかかりました。空気を使わないラブドールは、当時は画期的でしたね。
それからは改良を重ね続けて「影シリーズ」「華三姉妹」と新商品を出していきましたが、「これでいい」と満足したことは一度もありませんでした。造形にしても構造にしても、常に「これじゃまだまだダメだ」という思いでした。
ただ、「面影」を作ることができたのは「微笑」が売れてくれたからで、「華三姉妹」を作ることができたのも「影シリーズ」が売れてくれたから。もしも初代の「微笑」がなければ、いまのオリエント工業は存在しなかったでしょう。
爆発的に売れた愛すべき「アリス」
オリエント工業にとって大きな転換点となったのが、1999年の「プチソフト」シリーズの発売でした。
「アリス」というかわいらしい顔立ちのモデルが大人気になって、驚くほど売れました。
当時はインターネットが普及するようになった頃で、客層が大きく変わりました。
「プチソフト」はソフトビニール製で、価格も抑えられたことも重なったのでしょう。
それまでのお客様は40代以上くらいの方がメインでしたが、20代の人も買ってくれるようになった。オリエント工業といえば「アリス」というように、「アリス」はうちの代名詞的な存在にもなりました。
月に100体から150体くらい出荷されるという状態がしばらく続きました。そんなわけで、僕にとって「アリス」は最も印象深いドールのひとつになりました。
リアルなシリコン製ドールの時代へ
それと前後して、アメリカでシリコン製のリアルドールが出てきました。
シリコンの肌触りは、人間の肌にとても近い。これこそ求めていた素材だということで、早速シリコン製ドールの開発に着手しました。
開発に2年くらいかけて、2001年にシリコン製の「ジュエル」シリーズが完成しました。ソフトビニールの「アリス」のシリコンバージョンを発売しましたが、これもよく売れました。ソフビのアリスのユーザーが、そのままシリコンのアリスも買ってくださって、うれしかったですね。
ただ、シリコン製のドールはソフビと違って1体1体手作業ですから、ものすごく手間がかかります。作れるのはがんばっても月に30体くらい。100体限定で注文を受け付けても、2、3時間でパンクしてしまう。しかもお客様のところにお届けできるのは3ヵ月後というような状態が続いてしまって。その頃もう少し人数を増やしていれば、もうちょっと儲かったかもしれないけどね(笑)。
「ジュエル」シリーズ以降は、「アンジェ」シリーズ、「やすらぎ」シリーズと、シリコン製品を中心に開発を重ねてきましたが、もちろんまだ満足してはいません。コストなどとの折り合いはありますが、ラブドールにはまだまだ開発の余地がたくさんあります。社内では常に新しい製品開発にチャレンジしていますよ。
大切なのは、小さな心配り
オリエント工業のラブドールは、他とくらべて飛び抜けてすごい、造形や品質がいいと言ってもらえることもあって、それはやはり、うれしいことです。
ただ、僕自身にはそんなおごった気持ちはないんです。ほめてくれる人がいるなら、その理由はなんというか、心の部分も大きいと思っています。
たとえば、梱包。お客様のところにラブドールが届いたら、お客様はわくわくして梱包を解くでしょう。お客様にとっては初対面だから、少しでもモノっぽく見えないように、ちょこんと椅子に座っているような体勢になるよう、気をつかっています。
小さなことですが、そういった心配りを忘れてはいけないと思っています。里帰りシステムも、いざというときお客様が処分に困るようではいけないと考えて、無料でお引き受けしています。
もともと僕がラブドールを作ろうと思ったのも、誰かの役に立てればという気持ちがきっかけ。もっと安い材料を使って、多少質を落とせば利益率を上げることもできるかもしれないけど、それはオリエントエ業が目指しているものではないんです。
オリエント工業を超えてゆけ!
とくにこういった業界には、防波堤みたいなものがないとダメだと思っています。
うちはラブドールのパイオニアなんて言われているけれど、ならばいい加減なものを作ったらいけないという矜持もあります。
買ってくれた人ががっかりするような商品は作りたくないですから。それに、お客様の目はたしかだから、いい加減な商品を作ったら売れなくなります。ショールームを設けているのも、実際に見て、触って、納得して買ってほしいからです。
エロを売る業界というのはクレームを言いにくいところがあって、儲け主義に走りやすいところがどうしてもある。でも、真面目にやっている会社があれば、他だってあんまり変な商売できないでしょう。
オリエント工業を超えるようないい商品を作ろうと思ってくれる会社があれば、業界全体の質も上がります。他社がオリエントにないものをやろうっていうのは、いいことだと思っています。そうでないと、おもしろくないしね。追いつけ追い越せで、切礎琢磨しながらいいものをつくって、結果、たくさんの人によろこんでもらえればいいわけですから。
社内に共通する思い
はじめて手がけた「微笑」から40年が経ちますが、本当にあっというまでした。
それなりに苦労のようなものもあったと思いますが、自分では案外忘れてしまっています。40年続けてこられたのも、それほど大きなギャンブルはせず、コツコツやってきたからかもしれません。といっても、会社をやっていく上で、安定なんてものはないと思っていますが。
いまの僕は、みんなの意見を聞きながら、販売戦略を考えたりする、監督のような立場。造形についてはプロがいるから、彼らにまかせています。造形やメイクをほめてもらえるのは、彼らのおかげ。でも、ドールのネーミングだけは、僕の担当です。それだけはゆずれません(笑)。
長いことやっているうちに、本当にいいものを作れる人たちが集まってくれたから、いいご縁に感謝しています。うちで働きたいなんていう奇特な人もいるくらいだから、ありがたいことですよね。
僕をはじめ、社員に共通しているのは、いまよりもっといいものを作って、提供したいという思いです。だからこそ、結果が出せるのかもしれないし、そういう気持ちが信頼関係のようなものを育むのかもしれません。
いちばんうれしい瞬間
やっぱりうれしいのは、お客様からお礼の手紙をいただいたとき。「ドールの表情がこちらの気持ちで変わっていく」という手紙をいただくことも多いんです。僕や社員たちからすれば、娘みたいなものですから、お客様がドールへの思いを伝えてくれるおはうれしいこと。特に大事にしてくれているっていう手紙は、本当にありがたいと思っています。この仕事をやっていてよかったな、と思える瞬間です。
僕はドールへの愛はもちろんですが、とにかく人が好きなんです。これは誰に対しても優しかった両親の影響かもしれないけれど。だからお客様はもちろん、スタッフに対しても少しでも役に立ちたい、幸せにしたいという気持ちがあります。もちろん、女性に対しては特に優しいですが(笑)。人に対する愛情が根本にないと、いい商売はできないような気がします。






