都築響一|「リアル」の先にいるドールたち

都築響一|「リアル」の先にいるドールたち

2016年の夏に渋谷の「アッコバルー」というギャラリーで、展覧会『神は局部に宿る– 都築響一presentsエロトピア・ジャパン』を開いた。1990年代から取材してきた秘宝館、ラブホテル、イメクラなど、日本ならではのエロ文化をずらりと並べた写真展で、むろん18禁。

しかも東急Bunkamuraの隣という立地で(まあそのまた向かいはラブホテル街だが)、どうなることかと不安だったが、結果的には1万人以上のお客さんが来てくれて、予想をはるかに上回る賑わいだった。

展覧会では写真を壁に貼るほかに、かつて秘宝館を飾っていた人形や、オリエント工業からお借りしたラブドールの実物も展示して、かなりビザールでマニアックな空間になっていたのだが、お客さんの7~8割が女性、それも若い女の子が圧倒的に多かったのには、僕もスタッフも驚くしかなかった。会場はすべて撮影可にしていたので、キャッキャ言いながら携帯で、秘宝館人形やラブドールとの自撮りに興じる女の子たちが盛り上がりつつ、その後ろのほうで男性ひとり客が所在なげ……という光景は新鮮というか、時代を感じさせるものだった。

オリエント工業からは本棚に組み込まれた「家具シリーズ」のドール、それに全身のドール一体と、ラブドールとの性交時に使用する着脱式の「ホール」も2つ提供いただき、どちらも「おさわり可」「指入れ体験可」で並べてみた。なんといっても、あのシリコンの人工皮膚感覚をみんなに体験してほしかったので、脇にウェットティッシュを置いて、「指を拭いてから、優しく触ってあげてくださいね」と注意書きを添えていたのだが、男たちはなかなか恥ずかしがって触らない。スタッフにしつこく勧められて、ちょっと太ももを撫でてみる、といったひとが多かったのに、女の子たちはいきなりおっぱいをグイッとわしづかみしたり、乳首をキュッとつまんでみたり、容赦ない扱いに、スタッフがハラハラするほどだった。

ギャラリーにはお酒が飲めるカウンターがあって、その端っこにカーテンで仕切られた箱を設置し、そのなかに「ホール」をごろんと置いて、指を入れて「絞まり」とか「ひだひだ」感を体験してもらった。もちろんこちらも女の子のほうがはるかに積極的。恥ずかしがるどころか、ぐいぐい指を入れてかき回して、「え~あたしとおんなじじゃん!」とかバカ笑いしているのを見ていると、思わず「お前よりいいよ」と突っ込みたくなったが、自分が時代に取り残されつつあるのを実感もした。

20歳の女の子に「あたしとおんなじじゃん!」と叫ばせる人工性器って、なんなのだろう。女性のお客さんからは「これだけあれば、もう充分なんじゃないの?」と、

もっともな質問をずいぶん受けたが、ホンモノと変わらない快感を与えてくれる「ホール」があるのに、それでオナニーには充分なはずなのに、さらに何十万円も出して全身の人形を購入して、洋服を選んで着せて、香水をつけたり誕生日をケーキで祝ったりしながらパートナーとして一緒に暮らすという感覚が、女性にはまったく理解できないらしかった。渋谷という土地柄、外国人のお客さんもずいぶんたくさん来場してくれたが、欧米人もアジア人も、そうした男女の受け止め方の違いは共通しているようでもあった。

写真で見て、さらに実物に触れてみると、オリエント工業のラブドールは異様なまでにリアルなのだが、「たかがオナニーにそこまで必要なのか?」という女子の疑問が、ラブドールの本質を突いている気がする。

いろんな機会に書いたりしゃべったりしてきたが、とことんまで機能を追求することが「クラフト」の本質である。たとえば、長年の修練を経て、最高に酒がうまいぐい飲みをつくる、というような。でも、そのいっぽうで、ものすごく飲みにくいかたちなんだけど、そこに置いておくだけでなんだかうれしくなったり、ほっこりしたりする、そんなぐい飲みがあったとする。

クラフトとしては失格なのだが、そこには別の存在する意味がある。要求される機能の最高レベルまで達していなかったり、最高レベルを超えたり、はみ出したりしてしまって、「そこまで必要ないだろうけど、いとおしい」と思わせるもの。それをひとは「アート」と呼ぶのかもしれない。

オリエント工業のラブドールが僕にとって特別なのは、それが生身の女性に似て最高にリアルだからではなくて、必要充分条件を超えてリアルだからだ。

これが「もっとも強烈な快楽を与え、最高の射精体験を導く器具」ではなく、どこか別の場所にある至福への希求であるからだ。そうして優れたスーパーリアリズム絵画が常にそうであるように、「リアルを超えた場所」に花開くのがファンタジーであり、オブセッションであるのだから。

もともとは素朴な「穴付き空気人形」から始まったオリエント工業のラブドールが、どうしてここまで進化したのか、進化しなくてはならなかったのか、ホンモノの女子には不可解なほど「進化しすぎ」たのか。それをすごく知りたくて、数年前に上野のショールームと葛飾区の工場を訪ね、創業者の土屋日出夫社長にお話をうかがったことがある。それはのちに「東京右半分』という本に収録されたが(そういえば表紙もラブドールだった)、たいして売れなかったし、40周年というせっかくの機会なので、元の記事に増補したものをここに再掲載させていただく。東京の下町の、アンドロイド製造工場のような場所から、どんな思いを込めて土屋さんたちがドールを送り出しているのかを知ってもらえたら、本書に登場しているドールたちの表情も、ほんの少し違って見えてくるかもしれない。

昭和通りに面した、上野の小さな雑居ビル。2階に上がってドアを開けると、そこにはおだやかな灯りに照らされて、数十人の美女が寛いでいた。小学生にしか見えない少女から、アイドル系、微熟女まで。あるものは普段着を身につけ、あるものはほとんどなにも身につけず。

こちらを向いて、微笑んで。ひっそり黙ったまま……そう、彼女たちは人間ではなく、もっとも精巧に作られた人形=「ラブドール」なのだ。

台東区上野に本社を置くオリエント工業は、日本でもっとも大手の、もっとも精巧なラブドールの製造販売元である。そしてここは、上野に設けられたオリエント工業のショールームなのだ(上野のほかに大阪にも設けられている)。

オリエント工業は1977年創業という、業界の老舗メーカーだ。創業者であり、いまも第一線で指揮を執る土屋日出夫さんは 1944(昭和19)年、横浜生まれ。もともと会社勤めから、オトナのおもちゃ屋経営に転じたという異色の経歴の持主である。

僕は横浜の麦田っていうところの生まれで、町のすぐ近く。

元町はオシャレでしょ、麦田はあんまりオシャレじゃないけどね(笑)。

それで、最初は会社勤めのサラリーマンだったんですけど、新宿でオトナのおもちゃ屋をやってるひとと知りあったんですね。

いまはもうないけど、歌舞伎町の区役所通りで。まあ、自分でもああいう柔らかい商売っていうか、そういうのが好きで、ちょっとやってみようかなっていう感じになって。で、横浜をやめて、初めて東京に来たわけです。

そこは新宿のほかに上野にも店を持ってたので、僕も新宿と上野を行ったり来たりしながら2、3年働いて、それから独立して浅草で自分の店を持つことになったんですね。

昭和40年代後半から50年ごろの話ですが、そのころがオトナのおもちゃ屋の全盛期でした。でも、(お上が)うるさい時代でもあって。いまはふつうに週刊誌にも出てるけど、当時はアンダーヘアすらとんでもないという時代だから。

サラリーマンからオトナのおもちゃ屋経営に転身した土屋さんは、まもなく浅草で店を2軒持つまでになる。そのころ店でよく売れていたのが「ダッチワイフ」。空気を入れて膨らませる、まさにおもちゃのような性具だった。

当時は女性用に、まだバイブレーターがない時代ですから、肥後ズイキだとか、電動のないコケシ、それにちょっとしたリングだとか、つける薬だとか。男性用には空気袋のダッチワイフと、あとスポンジでできたものぐらいがメインだったんです。それから電動ものが出始めて。最初はいまでいうローターみたいなもの、それからコケシ型になったんだけど、ひとの顔をつけて民芸品という形で売ってました。そうじゃないと許可が下りなかったので。いまは秋葉原のアダルトショップとかでも、男性器そのままのモノが売ってるでしょ、びっくりしますよね。昔はそんなの、とんでもないことでした。

だって最初に出たバイブレーターなんて、電動歯ブラシあるでしょ、ああいう形だったんですよ。形は違うけれど、歯ブラシみたいなのをくつつけて。それをある店が、この刷毛を「豆ンとこにこうやってください」って説明した時点で、猥褻物になっちゃう。黙って置いておくぶんにはよかったんですけどね。

毎日店に出て、接客をしていた土屋さんは、そのうちにあることに気がついた。ビニール風船のような胴体に、漫画チックな顔がついただけ、それでも当時の値段で1~2万円はしたダッチワイフが、よく売れる。売れるけれど、粗悪品が多く、体重がかかるとすぐに空気が漏れたり、破裂したりする。しかもそんなダッチワイフを真剣な顔で求めに来るのは、エロマニアというより、からだに障害を負ったり、伴侶を失ってこころに傷を負ったりして、女性とまともに接することの難しい男性が、思いのほか多かった。そこから、ただの性処理用具ではなく、「かたわらに寄り添い、こころの安らぎを与えてくれるような存在」をつくりだそうという、土屋さんの探求がスタートする。

浅草でおもちゃやっているときですが、ビニールのダッチワイフ、箱に直接女性の絵が描いてあるだけのようなものが、1万円、2万円なんです。それをぼくはきれいなクラフト用紙に包んだり、自分で「南極」って書いたり、ちょっと違う感じにして高くして売ったら、売れるんですよね、これが。

でも、そういう1万、2万円の空気人形だけど、それを何回も直しに来るんですね。破裂しちゃうんですよ。もう、のっさわっさ乗っかるから。浮き袋とおんなじように接着するんだけれど、一回破れると接着が弱くなるし……それもあるんだけど、見てくれからが、あまりにひどかったもんで、これはちょっとやってみたいなと思ってね。

1977(昭和52)年、オリエント工業を興した土屋さんは、顔と胸にソフトビニールを使用し、腰の部分をウレタンで補強、顔、胸、腰以外をビニール製の空気式にした、初めてのオリジナル商品『微笑(ほほえみ)』を発売する。そしてその同じころ、ひとりの研究者との出会いが、土屋さんとオリエント工業のありかたを決定づけることになった。

そのころ、僕を助けてくれたひとがいたんですね。佐々木という、10歳ぐらい年上で、あまり過去は聞かなかったんですが、京都のほうの生まれで、お医者さんだったんです。彼はいろんな海外で、障害者の性を扱ってたんですね。僕のほうはそれまでおもちゃ的な扱いでいたわけですが、彼はビニールのそういうものでも、違う扱い方をしていたんです。やはり障碍者に対する思いっていうのがあって。そのひとにだいぶ影響されましたねぇ。

だから、このショールームも、場所はいまと違いますが、ずいぶん初期から、ショールームではなくて「上野相談室」という名前で開いたんです。僕では相談に乗れないけど、そのひとなら1時間でも2時間でも、性の相談に付き合ってるんですよ。

初期のビニール製のものですから、いまのシリコン製と較べれば問題にならないけど、それでもいまのシリコン製を売るのとまったく同じ思いで。

オリエント工業の上野相談室をさまざまなひとが訪れるようになって、土屋さんはドールを必要とする人間にも、さまざまな動機があることを知るようになった。

お客さんは、なにも障害者だけじゃないんですよ。性の悩みもいろいろで。あのころはね、奥さんが蒸発……今はもう蒸発なんて言わないけれど、男つくって逃げちゃう。そうするとね、女性不信になっちゃうらしいんです。女性のモノが汚く見えちゃう。それなら風俗行って遊べばいいじゃないかと、我々は簡単に思うけれど、そのひとにしてみれば、女性のモノが汚く見えちゃうんだから。あるいは奥さんが病気で、だんだんセックスが苦手になってきたとか。そうすると、真面目な男性はなかなか発散もできない。あと、障害者の息子を持つお母さんが、やむをえず手で処理してあげていたのが、性欲が強くなってきて、このままでは最後の一線を越えてしまいかねないということで悩み抜いた挙げ句、うちのことを知って駆け込んでくるとか。ほんとに十人十色、いろんなケースがあるので、コンサルティングの過程がすごく大事なんですね。だから、佐々木という人間に出会ってなかったら、僕はいまごろただの、アダルトショップのオヤジでいたかもしれない。

「微笑』に続いて1982(昭和57)年には手足を取り外せる全身タイプの『面影(おもかげ」、87年には『影身(かげみ)』、92年「影華(えいか)』と、オリエント工業はラテックス製の全身人形を次々と発表していくが、それまで「影」という字が象徴するように、ひっそりと扱われるべき存在で、表情も憂い顔だったり、無表情だったりしたのが、イメージを一新することになるのが97年発表の『華三姉妹」。素材こそラテックスのままだが、「華」の文字に象徴されるように、それは日常生活のかたわらにあるものとしての明るさ、艶やかさを前面に押し出した新シリーズだった。

そうした路線変更の背景には、新たな造形師の起用と、96年にアメリカで発表され、世界中で話題になった高級ドール『Real Doll』の存在がある。カリフォルニア州サンマルコスに本拠を置くアビス・クリエイション社が発売したリアルドールは、「ハリウッドの特撮技術を最大限に活かした」と銘打ち、皮膚にシリコンを使用した、従来の製品とは次元の異なる触感と完成度を持つドールであり、6千~7千ドルという値段とともに、日本でも大きく報じられることになった。当然ながら、オリエント工業を含めた日本の各社も、シリコン製の新製品を出そうと競って開発を進めることになる。

アメリカからシリコン製のものが入ってきて、びっくりしたんですが、当時はなかなか良質のシリコンが入手できずに、うちもシリコン製の『ジュエル』を2001年に出せるまで、2年ほど開発期間をかけることになりました。

最初のシリコンが出る前は、顔が全然違うんですね。もともとはマネキンを作っているひとが描いてたんです。シリコンが出る前はソフトビニールですから、素材も全然違いますけど。それがいまの造形師さんになってから、まったく顔の造形、メイクも変わってきたんですね、現代ふうに。

そして2001年にシリコン第1号が出るわけなんですが、そのちょっと前の1999年に、ソフビで『アリス』というシリーズを出しまして、これが爆発的に売れたんです。ちょうどインターネットが世に出てきたときで、それまでオトナっぽいのがメインだったんですけれど、はじめて身長136センチというロリ系、小さいかわいい感じのアリスっていうのを作って、これが月に100から150くらい、2、3年は売れてた。

最初はロリ系というのは、ちょっとこわごわというか、抑えてたんですけど、インターネットとリンクした時期というのもあって、いままで(ドールを)必要としていたひとたちとは違う、若い層のお客さんが、性具というより「癒し」みたいなものを求めて買ってくれるようになったんですね。だからお客さん同士のファンクラブとかできたりして。そういうのって、それまでは考えられませんでしたから。

それに、数年前からは中古のドールを売り買いする店が出てきた。これも以前には想像もできませんでしたねえ。愛好家どうしでゆずりあうっていうことは、前からあったみたいなんです。

事情があって人形を手放さなければならないんだけれど、この子が可哀そうだから、君になら預けられるみたいな。でも最近は仲介業として業者が出てきて。

個人個人のやりとりになると、顔が見えてしまうというか、住所とか個人情報が漏れちゃうから、間に入りますよということで、お客さん同士をつなぐ業者が出てきたんですよ。それからどんどん抵抗がなくなって。

ラブドールを持つことを恥とも秘密とも思わない、そういう新しい層が出てきたことによって、オリエント工業のラインナップは格段に広がることになった。もちろん、お客さんのバラエティも。

僕自身も数年前、ドール見本市の取材で、ラブドールのファンクラブと出会い、彼らの「オフ会」の記録を見せてもらったことがあるが、高速のサービスエリアでみんなのドールを並べて記念撮影したり、旅館を借り切って、お気に入りのドールを侍らせて宴会したり、それは堂々というか、あっけらかんとしたものだった。

過去のラブドールを見直してみても、かつては『影身』のように「影」が名前についているものが多かったのが、1990年代から『華三姉妹』のように、「影」から「華」へ、陰から陽へとイメージが転換しはじめたことがよくわかる。ドールの持主が、かつてはひとりで楽しむだけだったのが、人形と過ごす日々の記録をハンドルネームでつづったり、自分が撮影したドールをギャラリーにしたりと、インターネットの普及による変化も、そこでは大きかったはずだ。

お客さんの中には長いあいだ、1体のドールを大切に使ってくれるひともいるし、新しい子が出てくるのが楽しみで、もう10体以上持ってらっしゃる方とか、家中がドールだらけというカリスマ・コレクターもいらっしゃいます。部屋丸ごとを、巨大なドールハウスみたいにしてるひととか。顔と体が取り外せて、顔だけ取り替えられるタイプもあるので、顔だけいくつか持って、使い分けてる方もいるし。でも、特別きれいな顔だから売れるというわけでもないし、外国人のタイプは売れるだろうと思ったら、ぜんぜん売れないし。少女のシリーズのなかには、性器部分に穴のあるなしを選べるタイプもあって、性器なしのものを買うひともけっこういますから。そういうのは子供のいない女性や、年配の方たちの「癒し」になってるんでしょうし。ほんとにいろいろなんです。

ラテックスやソフビやシリコンの肌を持つ人形たちは、もう30年以上にわたってさまざまな思いを、妄想を受け止めてきた。ちなみにオリエント工業では注文を受け、出荷することを「お嫁入り」と呼んでいる。修理や、どうしても持っていられなくなって返品されたものは「里帰り」。そうやって里帰りした人形でも、大事に扱われていたドールと、そうではないドールでは、表情が違って見えるらしい。本家アメリカの「リアルドール」ではありえない、そうした細やかな心遣い、ドールと所有者のコミュニケーション。こんなに日本的な心情が、こんなところで見え隠れしているとは。

ちなみにオリエント工業ではドールの「お嫁入り」の際には結婚指輪を同梱してあげて、返品されたドールのためには年に一度、上野の観音堂で人形供養をしてもらっている。それを聞いてホッとするお客さんもいるそうなので、これはやはりとても日本的な産物なのだろう。

オリエント工業は本社・ショールームを上野に置いているが、製品を作る工場は葛飾区にある。

葛飾といえば人形が地場産業。すでに大正時代にはセルロイド工場が、玩具を海外向けに生産輸出していたという。タカラトミー(もともとはタカラ、トミーと葛飾に本社を置く別会社だった)、モンチッチで有名なセキグチなど、名だたるおもちゃメーカーが葛飾区には昔もいまも本拠を置いている。映画『空気人形』でも、この工場がロケ地に使用され、映画の中ではオダギリジョー扮する孤独な人形師が作業していたが、実際には明るく広々とした空間で、若いスタッフを中心に活気あふれる下町のファクトリーである。広報担当のかたによれば——

もともと葛飾はおもちゃメーカーがたくさんあって、ソフビの工場とかもみんなこのへんだったんですね。うちも、もともとはドールの製作自体はマネキン工場のほうに外注してまして。ただ、そういうマネキン屋さんもだんだん高齢化して、廃業ということになっちゃうので、自社で工場を持って生産するようになったんですね。

前はこの近くに工場があったんですが、手狭になったので2004年にこちらに引つ越しました。というのは、2003~4年あたりに『ドール風俗』というのが流行って、テレビ番組とかでもずいぶん紹介されたんですよ。ようするに生身の女の子の代わりにドールを置けば、人件費をかけずにお客さんが来るということで。それが風俗関係に一気に広がって、いままでとはちがう、業者の方々が注文してくるようになって、生産が拡大したんです。ま、それはけっきょく1年ぐらいで淘汰されて、いまではほとんど残ってませんが。いざやってみると、ドールのほうがメンテナンスが大変とわかったんですね(笑)。当時、年間製造体数が1000体ぐらい行ってましたから。商品数が増えた現在でも、10万円から70万円まで、ボディタイプにして6種類、ぜんぶひっくるめて1000体前後は売れてます。

十人十色というか、なるべく要望にこたえられるように、頭部もボディもだんだん増やしてきていますが、前には顔のオーダー制作依頼とかもありました。亡くなった奥さんとか、娘さんとかの写真を持ってこられて。

それもちょっとやってみたんですけど、ストーカーみたいな人が、隠し撮りした写真を持ってきて、「これ作ってくれ」みたいなこともあったんで、いまはストップしてて、真剣に相談してくれた人がいたら、また考えようかという状態です。

工場見学に同席してくれた造形師さんによれば、美人をそつくり真似しても、魅力的なドールにはならないという。「人体をそっくり型どりしても、死体になっちゃう。人間の造形美をいいほうにデフォルメしていかないと、欲しいって感じにならないんです。顔の大きさ、肌の色から胸の大きさ、乳首の色まで!ほんとはこんなピンクじゃないけど、『夢の女』ですからね」と笑いながら話してくれたが、それはまったくそのとおりだろう。

ファッションモデルのようなバランスの人間が、舞台ではまったく映えないように、からだをつけていっしょに座るソファや、ベッドの上でこそ最高に映える顔が、体がある。そういう、人間のいちばん深い欲望にとことんつきあい、寄り添い、ほかのどこにもない“伴侶”を黙々とつくるひとたちがいた。それも葛飾という東京の下町のはずれに。


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