
エロと美術史の不可解な関係
まずは、オリエント工業創業40周年をお祝いしたい。思えば、ここ数年、ラブドールとかなり親密に付き合った私は、スタッフのみなさんにたいへんなご苦労をおかけし、土屋社長とは何度も湯島のカラオケスナックでご一緒したのだった。
創業された1977年といえば、18歳の私が広島から上京して大学に入学した年。その折りに発売された空気式の「微笑」以来、ラテックス製、ソフトビニール製、そして2001年には現在に至るシリコン製へと進化し、関節の性能、植毛やメイクの技術なども飛躍的に向上したという。そして私はいま58となり、ラブドールとちょっと奇妙なまぐわいかたをしているのである。
ダッチワイフという呼称は、たぶん10代のころから、例の「南極一号」の都市伝説(?)を通じて知っていたと思う。だが、オリエント工業のラブドールのことを強く意識したのは、2010年ごろからのことである。
いまになって思い返せば、ラブドールの「社会進出」にもっとも熱心に取り組んできた、銀座のヴァニラ画廊との付き合いがはじまったのが、2009年のこと。一面識もなかったスタッフの田口葉子さんから、「三代目彫よし刺青原画展」の案内を丁寧な手紙を添えていただき、以後、私はヴァニラ画廊の展示をほとんど欠かさず観に行くようになったのだった。2011年3月11日、東日本大震災に見舞われた直後に画廊を訪ね、腰を抜かして床に座り込んでいた田口さんに遭遇したのも、懐かしい思い出である。
ヴァニラ画廊がはじめてラブドールの展示をしたのは、2007年に企画された「人造乙女博覧会ーオリエント工業30周年記念・ダッチワイフからラブドールへ」である。残念ながら未だ画廊と付き合いのなかった私はこの展示を観ていないが、よほど好評だったようで、続編の「人造乙女博覧会Ⅱ」が2010年に、そして「オリエント工業35周年記念特別展示・人造乙女博覧会Ⅲ」が2012年に開催されている。そして、2014年の「人造乙女博覧会Ⅳ」では、パンフレットに掲載する文章をみうらじゅん氏とともに寄稿したのだった。
その間、私はラブドールへの密かな恋慕の情を募らせてきたのだが、都築響一氏のように積極的に情報発信するでもなく、みうらじゅん氏のように事務所にエリカ様を鎮座させるでもなく、いつかラブドールに関するなんらかのオファーがあるのではないかと、密かに待っていたのである。
そしてついに、2015年秋、ヴァニラ画廊から「来年、山下さんがプロデュースするラブドールの展覧会を開催しませんか?」というオファーが来たのである。もちろん、喜んで!という感じで実現したのが、2016年の「人造乙女美術館」という展覧会である。
画廊からの依頼は、「日本美術のイメージをラブドールで再現しませんか?」というものだった。私はさまざまに考えをめぐらせ、江戸時代の歌麿をはじめとする浮世絵、大正時代の橋口五葉をはじめとする新版画、昭和初期の小村雪岱の挿絵などなど、試行錯誤を重ねたのだが、結局、メインの作品として構想したのは、現代の日本画家として人気急上昇中の、池永康晟の作品にもとづく造形だった。
池永は、1965年生まれ。ほとんど独学で、麻布に日本画の画材で描く美人画のスタイルを確立し、長い苦労の末に、ここ数年で注目度が飛躍的に高まった画家である。かねてより彼の作品に注目していた私は、2014年に芸術新聞社から刊行された初の画集『君想ふ百夜の幸福』に寄稿したが、この本はいまでも版を重ねている。
ヴァニラ画廊の展示では、池永の「如雨露」と題された作品のイメージをラブドールで再現してもらうことを提案した。浴衣を着て、ほどいた帯を手に持って、しどけない「見返り美人」のポーズをとる等身大の作品である。足元には、ブリキのじょうろがひっそりと置かれている。
まずは、この作品の画像をオリエント工業のスタッフに提示し、できるだけ忠実にこのイメージを再現してほしいと依頼した。
ポーズの決め方、メイク、髪型など、この再現の過程はさぞかし難渋しただろうと思うが、スタッフは心血を注いで制作してくれた。そして、池永作品の所蔵者からも作品を借用することができ、絵とドールを同じ空間で展示することができたのである。
結果、この展覧会は大盛況で、一ヶ月足らずの会期中に、8000人もの来場者があったという。そんな経緯があって、私はいま、この文章を書いているのである。
思えば、かつての「ダッチワイフ」は「性具」であるがゆえに、それを「美術」とみなす視線などまったく存在しなかった。明治のはじめに一世を風靡した「生人形」も、それが「見世物」の道具であるがゆえに、「美術」などとはみなされなかった。だが、来日した欧米人は、生人形の素晴らしい造形に膛目し、購入して本国に持ち帰り、博物館に収蔵されることとなった。近年、日本においても、遅ればせながらようやく生人形の再評価の機運は高まってきたのである。
さて、最後に。ギュスターヴ・クールベ作「世界の起源」作品をご存じだろうか。1866年作の油彩画。オルセー美術館蔵。44cm✕55cm。ネット上には図版もたくさん出ているから、ぜひご覧いただきたい。大股開きの女性の陰部と下腹部をクローズアップして描いた絵である。
上半身はシーツにくるまっているが、右の乳首がちょっとだけ見えている。一説には、この作品は歌川国芳などの春画から影響を受けたものではないかとも言われている。
オリエント工業のラブドールは、もちろん陰部も周到に造形されている。クールベも、かなり周到に描き出している。エロは芸術の最大の起源である。でも、エロに「ス」がついて「エロス」になると、急につまらないインテリの戯言になり、「美術史」の俎上に載る。
土屋社長にクールベの図版を見せたら、なんとおっしゃるだろうか?そして、クールベにラブドールを見せたら、なんと言うだろうか? そんなことを私は、脳内でラブドールとまぐわいながら、勝手に夢想しているのである。






