
現実と虚構、この二大テーマは人が意識を持って以来の重大関心事でございました。嘘と真と言い変えても構いませんが、嘘にも真の嘘というものはございませんで、日本人は古来より嘘にもひとかけらの真があり、真と言っても、そこには完壁な真というものは無く、かえって完璧な真とは嘘であるとみなしてまいりました。言ってみますれば、嘘と真のはざまが現、つまりこの世なのでございます。
人の心とは、常に世の中を人の心に映して見るのでございまして、心がみたいように世の中を見るという性癖がございます。
百人十色と申しますが、百の心には百の見え方があり、百の心は他の九十九の心に浮かぶ世間の様を嘘ではないかと疑っているのでございます。
心にまことなどはもともと無いのでございますが、人類文明発生以来一応、まことを善、うそを悪と見做しまして建前といたしてまいりました。鼠はチュー、鴉はコー、と鳴く、鼠や鴉さえチューコーと鳴く、いわんや人間をや。これは江戸時代の忠孝の倫理観でございまして、うそとまことの倫理観の根拠も、現代人の私共は疑ってかからねばなりませんぬ。ところで、近代とやらになりまして、欧羅巴にニーチェ様というえらい哲学の先生がお出になられ、「善悪の彼岸」なる書物を出版なされまして以来、うそとまことの境界も覚束なくなってきたのでございます。特に近頃になりましては、仮想現実なる言葉が現れまして、仮想とはうそ、現実とはまこと、これまことのうそ、なる世界が現出したのでございます。手練手管のテクノロ路を歩んでまいりました人類は、ついにその手管によりまして、現実を凌駕する時代に至りました。
その象徴的存在といたしまして、私はオリエント工業製のラブドールを、前代未聞の、文明史を覆す、工業製品史上の傑作として、世界(珍)文化遺産に推挙するものでございます。
今世紀に入りまして、人心の変化はとどまるところを知りません。特に女性の社会進出は目覚ましく、近い将来女尊男卑、または家母長制社会の到来も現実味を帯びてまいりました。若い男は女の権勢の前に為す術もなく、心も体も萎えきってしまうという対女性菱縮症候群という病状を呈しつつある昨今でございます。そんな暗い世の中に一縷の望みを託す、希望の彗星のごとく登場いたしましたのがラブドールの皆様でございます。
いずれ劣らぬ美女揃い、いや美女は権力志向、美女よりはカワイイ系が、なんと申しましょうか、所謂劣情をそそるのでございますが、ここにも情に優劣がございましょうや、という難題が待ち構えています。人の世から劣情が消えたなら、それは人類滅亡の時でございます。劣情こそ世界記憶遺産に登録されねばなりません。話がそれましたが、ラブドールのその肌は、人肌を超えたきめ細やかさ、その赤い唇の、永遠の処女のようなふくよかさ、ラブドールには昭和の御代に若い男達がいだき得た、理想の女性像がまさに体現されているのでございます。失われてしまった現実は、ここオリエント工業にて、現実として再生しつつあります。
もちろん課題も残されています。人のぬくもりを目指す体温自動維持装置、呼びかけると答える発語機能と擬音発音機能、自動瞳見つめ合い機能、マッサージ椅子技術を導入した自動腰振り機能および締め付け機能。
そのような技術が完成した時に、私はラブドールに、遂に「心」が宿るのではないかと夢想するのでございます。動物が人になった時に人に心が宿ったように、そういえば、あの時も道具の発見が心の発生を導いたのでございました。






